「どうやって化学物質過敏症から復活したのか?」

私の方法 第9回です。

前回は、「化学物質過敏症でない自分を演じる」

演じるとなりたい自分になれるというお話でした。

第9回から大分、間が空いてしましました。

書けなくなった私を応援して頂いている人が一人でもいるのであれば・・・と、

もう一度、書いてみようと思いました。

 

今回は、自分の「化学物質過敏症であるメリットを認める」というお話です。

「化学物質過敏症であるメリット」なんて言ったら、矢のような批判が飛んで来そうです。が、

あえて、その批判も受け止める覚悟を持ってお話したいと思います。

 

全ての出来事には、相反するメリットとデメリットが必ず存在しています。

悪い出来事にしか思えないことにも、

必ずメリットが存在しています。

悪い出来事の渦中にいる時には、メリットが存在するなんて思えないことが普通です。

私も 「メリットなんてある訳がない!」 と、思っていました。

けれども、勇気を持って、今の悪い状況で自分のメリットは何かを真剣に考えてみたのです。

そしたら、何と! メリットがたくさんあるではありませんか!!

 

私が化学物質過敏症で渦中にいる時のメリットと化学物質過敏症から復活してからのメリットは、大分違います。

渦中にいる時、気づかなくても後で気づくこともたくさんありました。

そんなお話です。

 

化学物質過敏症になってしまった私は、毎日、毎日、苦しくて、

「なんで私だけがこんなに辛いのに誰もわかってくれないの?」と、思っていました。

起き上がるとフラフラとして動けない日々が続き、怠け者病と言われたこともありました。

仕事は山のように積み上がっていきました。

元気な時の私は猛烈な仕事人間でした。

睡眠は毎日3時間、365日、女性社長として休みなく働いていました。

仕事に生きるのが私の使命だと信じて疑うことを知りませんでした。

しかし、そんな私の身体がボロボロの状態だと気づくことはできませんでした。

化学物質過敏症にならなければ、身体が悲鳴をあげている事に気づくことはできなかったのです。

そして、強制的に休息をしなければならない状況に追い込まれたわけです。

化学物質過敏症になって休息を取ること、これはメリットでした。

あの時、休息を取らなければ、私は死んでいたかもしれません。

また、自分の身体に目を向けることができたこと〜これは、私にとってのメリットでした。

 

第7回で書きましたが、私は誰かに甘えることができませんでした。

誰かを助けることができても、誰かに助けを求めることができなかったのです。

化学物質過敏症になって、必然的に助けを求めざるを得なくなりました。

誰かに甘えて、助けてもらう体験が私には必要なことだったのかもしれません。

これは、私にとってのメリットでした。

後に、弱い人の気持ちや、どうしてもままならないことがたくさんあることを

身を持って知ることができました。これも、メリットです。

 

私はずっと建築の仕事をしています。

父が大工の棟梁、工務店の社長だったからです。

子供の頃から、嫌でも、建築現場に連れて行かれて、片付けの手伝いをさせられました。

化学物質がいっぱいの建築現場に子供の頃から通っていたのです。

化学物質過敏症になってしまうのも無理はありません。

化学物質過敏症になって、自然素材で家をつくることの大切さを知りました。

家の中の空気を空気を良くすることができる自然素材と巡り会うことができたのは、私にとって、大きなメリットとなりました。

今でも、私を支えてくれているのは、都会で自然と共に生きることのできる家づくりです。

 

他にもメリットは、まだまだあると思います。

きっと何処かでまた気づく事になるでしょう!

悪いと思われる事の中に潜む真逆の良いことを探してみると、少し気持ちが楽になるかもしれません。

 

さて、この続きは第10回をお楽しみに・・・